ターンエーガンダムやブレードランナーのデザインで有名なシド・ミード氏が死去。業績を振り返る画像まとめ。

テレビ

数々の工業デザイン、SF作品などの未来描画で知られるデザイナーのシド・ミード氏が
12月30日、米カリフォルニア州パサデナの自宅で死去しました。

86歳でした。

初めてシド・ミード氏のデザインを意識して見たのは、ターンエーガンダムです。

そのデザインには衝撃を受けました。

世界的なインダストリアルデザイナーであるシド・ミード氏の業績を、
画像を見ながら振り返りたいと思います。

 

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プロフィール

生誕 シドニー・ジェイ・ミード
1933年7月18日(86歳)
アメリカ ミネソタ州 セントポール
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身校 アートセンター・スクール
著名な実績 インダストリアルデザイン
イラストレーター
公式サイト sydmead.com
活動期間 1961年 – 2019年

 

デザイン提供作品

実写映画

  • スタートレック Star Trek: The Motion Picture (1979年)人工生命体「ヴィジャー」
  • トロン Tron (1982年)ライトサイクル
  • ブレードランナー Blade Runner (1982年)スピナーほか美術全般
  • Deal Of The Century (1982年)ピースメイカー
  • 2010年 2010 (1984年)レオノフ号
  • Grid (1983年)
  • エイリアン2 Aliens (1985年)スラコ号
  • ショート・サーキット Short Circuit (1985年)ジョニー5
  • Princess Of Mars (1985年)
  • Cyberforce (1986年)
  • Escort (1986年)
  • Isobar (1988年)
  • クライシス2050 Crisis 2050 (1988年)ヘリオス他
  • ストレンジ・デイズ/1999年12月31日 Strange Days (1995年)ヘッドセット
  • タイムコップ Timecop (1994年)タイムマシーン他
  • Forbidden Planet (1993年)
  • Sandblast (1994年)
  • Be Littled (1996年)
  • ミッション・トゥ・マーズ Mission To Mars (1997年)マーズローバー、ステーション
  • サウンド・オブ・サンダー A Sound Of Thunder (2004年)
  • アイランド The Island (2005年) プロップ用にスケッチを提供
  • ステルス Stealth (2005年) プリプロダクションのみ一部参加
  • M:i:III Mission Impossoble III (2006年)フェイスメイカー
  • 2012 2012 (2007年) 初期デザインのみ参加
  • エリジウム Elysium(2013年)コンセプチュアル・デザイン:コロニー
  • ブレードランナー2049 Blade Runner 2049 (2017年)コンセプチュアル・デザイン

アニメ

  • YAMATO2520(1995年)18代ヤマト、戦艦、護衛艦、戦闘機、戦車、コスチューム、小銃、惑星、都市
  • ∀ガンダム(1999年)∀ガンダム、スモー、ターンX、フラット、ウォドム、バンディット、モビル・リブ
  • フューチュラマ(1999年)宇宙船

 

シド・ミードのデザイン

シド・ミード氏の名前を知らない人も多いかもしれませんが、
その活躍は数々のSF映画でお馴染みです。

『ブレードランナー』『エイリアン2』『トロン』といった傑作映画で
ミードのデザインを目にしているはずです。

シド・ミード氏は世界的な巨匠である一方で、日本とも非常に大きく関わっています。

60年以上におよぶキャリアのなかで手がけたプロジェクトの3割以上は、
日本のためのプロジェクトです。

その題材はホンダの車やカメラ、スポーツフェア、東京や神戸の未来を描いたものなど様々です。

80、90年代にこうした仕事が集中するのは、当時の日本の未来志向が、
シド・ミード氏がこだわる「未来のビジュアル」とマッチしたのでしょう。

 

アニメ作品での活躍

そして未来と言えば「SF」です。

アニメ関連で言うと、『YAMATO 2520』『∀(ターンエー)ガンダム』です。

シド・ミード氏は、日本SFアニメの二大アイコンである
『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』にも深く関わっています。

『YAMATO 2520』は「宇宙戦艦ヤマト」シリーズの続編として、
1995年にOVAとしてスタートしましたが第3話で製作を中断、
その後は映像ソフト化もなく幻の作品となっています。

しかしミードはトータル6年間もデザインに関わっていました。

数百枚ものスケッチを描き、思い入れの大きな作品でした。

曲線が強調された威圧感もあるヤマトはシド・ミード氏ならではです。

圧倒的な情熱と共にその威容をイラストからは確認することができます。

 

『∀ガンダム』もシド・ミード氏の業績です。

1999年のガンダムのデザインにシド・ミード氏の起用はかなりのサプライズでした。

20年前の∀ガンダムのメカデザインの評価は、正直あまり芳しいものではありませんでした。

「これはガンダムではない」という反応も多く見られました。

シド・ミード氏の描いた流線型のボディ、丸みを帯びた頭部は、
ガンダムデザインからはあまりにも異質でした。

それでも初期に∀ガンダムに想定されていたのはスモーと呼ばれるさらに丸く、
凹凸の少ないメカだったと言われています。

ですが、賛否両論だったデザインも、放送が始まり時が経つにつれ、受け入れられていきます。

 

なぜシド・ミードだったのか

「∀ガンダム」にシド・ミードを起用するアイディアは、
実はガンダムの生みの親である富野由悠季監督からのものでした。

シド・ミードは当時すでにメカニックデザインの大御所。

ところがミード側につながりのあるバンダイビジュアル(当時)の渡辺繁さんが
打診したところあっという間に快諾、トントン拍子に話が進みました。

 

「ガンダム」を「ガンダム」として成り立たせるデザインについて、
”目があること“ ”アンテナがあること“ ”赤・青・黄のトリコロール“とされています。

そうであれば、一見はヒゲのように見えるアンテナも含めて、
∀ガンダムは間違いなくガンダムです。

逆に言えば、それが揃ってさえ∀ガンダムはシド・ミードの強烈な個性を感じさせる。

むしろそうした異質感こそを、富野監督は当時のガンダムに求めていました。

 

 

シド・ミード氏死去への声

 

 

 

 

 

まとめ

2019年12月30日に死去した、デザイナーのシド・ミード氏のデザインついて振り返りました。

様々なデザインで世の中を楽しませてくれたシド・ミード氏のご冥福をお祈りします。

 

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